Wake an answer

第1章 葛葉麗一【ブラックナイト3-6】

タクシーの車中では一言も言葉を出さなかった。否、緊張しすぎて言葉が出てこなかった。変な事はされないとは言っていたけど、それでも知らない大人と何人も会わなければならない緊張は青年には当たり前だった。

「到着しましたよ。お客様?」
「ハッ…あ、はい」

考え込みすぎて運転手の言葉が耳に入らなかった。慌ててメーターを見ると、2800円になっていて、結構な距離を走ったのだと気づかされる。財布を取り出すと、数ヶ月前と同じように『結構です』と断られた。が、今回違う点は、運転手が差し出した領収書。メータから打ち出された用紙を切り取ると、『萌木さんにお持ち下さい』と麗一へ差し出す。
数ヶ月前のあの日、支払ったのは萌木氏だったのかと理解した。

「わかりました。ありがとうございます」
「いえ、仕事ですので。お忘れ物はありませんか?」
「はい」

タクシーを降り、背中で扉が閉まる音が聞こえると、タクシーは走り去っていった。
降りた場所から電話を入れてくれと言われていたので麗一は携帯を開く。着信履歴から“藍然家”を選び通話ボタンを押した。
今度は事務の女性では無く、直接萌木が電話に出た。取次ぎをしてもらわなくていいというだけでホッとする。

「すぐ迎えに行くから、そこで待ってて」
「はい」

電話を切ってその場を見回すと何か違和感がある。その答えはすぐにわかった。そう、指定された場所は閑静な住宅街なのだ。株式会社で、本社所在地は孔雀区孔雀町2町目となっているのだから、孔雀町駅西口のオフィス街のはずなのに。
すぐ近くの細い丁字路を車が通り過ぎる。その音に首を向けていると、目の前から声をかけられる。

「麗一くん。やぁ、お待たせ」
「あ、ドモ…初めまして」
「初めまして。萌木です」

年齢は30代後半ぐらいだろうか。男性への表現としては可笑しいかもしれないが、可愛げのある顔つきで、明るく染められた茶色の髪が印象的だった。
挨拶の延長上として、萌木は手を差し出す。求められた握手に習慣を持たない麗一は、恐る恐る手を差し伸べた。軽く触れた手をギュッと握られ、数回上下に振られる。きっと、感謝の意を表しているのだろう。

「それじゃあ行こうか。亀山先生が来る予定は1時間後だけど、色々と説明もしておきたいし」

そう言うと萌木は案内するように背を向ける。背中に大きく書かれた“ACTIV”の文字と、ドクロがメインとなったデザインが麗一の目に飛び込む。株式会社の企画室室長としては想像出来ない格好だと思うが、来る前の電話で「俺もスーツなんて着てないし」という言葉を思い出した。

「どうしたの? 心配無いから入っておいで」
「あ、は…はい」

扉を開いて待つ萌木の元へ走り寄る。麗一の背後で扉の閉まる音が大きく聞こえ、戻れない道を惜しむように振り返った。

+

腰掛けると妙な感触とギュッという独特の音がするのは皮製のソファ。かなり高価で、手入れも行き届いているのだろう。てらてらと濃茶色に光っている。
ホームにあるスプリングも意味をなさないようなソファ、シミを無理に落とした上に安物のカバーをかけたものとは大違いで、麗一は手のひらでその高級そうなソファを撫でてみた。

「何を飲む? 」
「あの…何でも」
「若者っていうとコーラとかは?」
「あまり飲みつけないので…嫌いじゃないですけど」
「じゃあ飲んでいきなよ。君は招待されているゲストなんだから遠慮しなくていいんだから」

そう言いながら萌木は壁にかけてある電話の受話器を上げると、内線ボタンを押して話し出す。コーラとアイスコーヒーを注文して、電話を切った。

「先に君の事をちょっと聞いておきたいんだけど」
「はい」

萌木は手元の用紙を手にして目を流す。どれぐらいの情報が書かれているのだろうか。A4サイズの用紙に黒い文字がびっしりと見えた。

「鹿山区にある…えーと、羽鳥<はとり>でいいのかな?」
「そうです」
「ふぅん、キリスト教系なんだ」
「ええ、祈る時は飯の時と日曜日ぐらいですけど。俺個人は、基本的に神様なんて信じていないんで」

正直な気持ち。
本当に神様なんているんだったら、もう少し自分の境遇を助けてくれたっていいはずだ。それとも祈りが足りないから助けの手は差し出されないのか。

「で、羽鳥養護園の保育園の出身で、鹿山区内の公立中学校を出て、孔雀区の公立高校へ入学。高校生の時から、養護園を出て系列のグループホームで7人の同年代の子供達と暮らしていると」
「ええ、間違いありません」
「大学は?」
「迷っています」
「…金銭的な面で?」
「はい」

少しの沈黙の後、扉がノックされると女性が入ってきた。別段変わった格好をしていなかったので、麗一はホッと胸を撫で下ろす。

「大学には行きたいかい?」
「正直言うとあまり。ですが、この先就職するにも特にやりたいことも無いと言うか」
「でも周りはそろそろ就職活動に入ってるだろ? 進学の者は勉強か」
「ええ、でも俺の周りは結構フラフラ遊んでいたので未だ自分たちの状況がわかっていない奴が多くて」
「ああ、飲みな。緊張で喉が渇いただろ」
「ありがとうございます。いただきます」

冷えたグラスを手にして、ストローを口へ運ぶ。はじける炭酸が口の中でパチパチとはじけ、喉へと落ちていく。一息ついた所で、麗一は話を再開した。

「えっと、その…亀山さんとはどういう」
「そうだね。それを話さないといけないね」

萌木はコーヒーを一口すすると「どこから話したもんか」と独り言を呟いた。きっと、麗一のことを気遣ってやんわりとオブラートに包んで話そうとしているのだろう。だけど、それでは本当の事がわからなくなってしまう。決断するのには明確な情報が必要だ。

「あの、話しづらいかもしれませんが、ありのままを話してくれた方が決めるのも断るのも楽なんですけど」
「うん、うちのシステムの事はね、素人さんにわかりやすく説明するマニュアルはあるんだ。その他にちょっとね…まぁそれは亀山さんが来てからでもいっか。えーと、じゃあうちのシステムの説明をするね」

思いっきり奥歯に物が挟まった言い方が気になるが、麗一は手にしていたグラスをテーブルへ置いて話を聞く体勢を取った。


Copyright © SPACE AGE SODA/犬神博士&たろっち. All rights reserved