Wake an answer

第1章 葛葉麗一【矢坂医院2-1】

「起きた?」

目が覚めると、病院のベッドの上だった。最後にみた景色から一転して真っ白な世界が目にまぶしい。

「ここは?」

気を失う前に見た光景とは打って変わって、真っ白で清潔感のある場所、そしてタバコの匂い…

「はぁ!?」
「おはよ。アタシ矢坂。ここの院長」
「院長? 病院? って、なんでタバコ吸ってるんスか!」

院長と自己紹介したその男性は、白衣を着ていなければ(着るというよりだらしなく羽織っているのだが)おおよそ医者らしくない服装で、外ハネの変な髪形で、そんでオマケにタバコを吸っていた。

「悪い?」
「普通は有り得ません」
「ふーん、ここアタシの病院だもん。別に吸ったっていいじゃん」

拗ねた口調は全く可愛くない…。
何故ならパッと見た目は細そうだけど、体つきは恐らく筋肉が適度に整った男性なのだと見てとれたからだ。もしかしたらこの先生がもう少し若くて華奢だったら、中性的だったのだろうけど。

「それよかさ、アンタ自己紹介忘れてるんじゃないの?」

そう言って矢坂はフウッと強くタバコの煙を吐き出し、ベッドに備え付けられているサイドテーブルに置かれた灰皿へタバコを押し付けた。

「あ、すんません…。俺は、麗一。葛葉麗一です」
「くずのは? はぁん、変な名前」

毎度言われる。学校の先生だってまともに読んだ奴はいなかったし、この漢字が書き慣れる小学校中学年まで、テストの名前欄では字体がまとまらなくて、いつもはみ出して書いていたぐらいだから。

「余計なお世話です」
「あらま。同じ事言うのね、やっぱり」
「え?」
「いんや、昔、同じ苗字の患者が違う病院にいたのよ。その女性と同じセリフだわ」

当たり前だろう。その女性だって『変な名前』と言われたくて苗字をもらったわけじゃないだろうし。第一、生まれる場所だって選ぶことなんて出来ないのだから。

「名前の事で話がズレちゃったわね。ここで治療した代金もいらないし、名前以外は学校も住んでいる場所も尋ねる気も無いし、具合が良かったら帰りな。受付に誰かいると思うから、タクシーを呼んでもらってちょうだい」

矢坂はそれだけを言うと、着流した白衣を翻してくるりと背を向け、手を振る。矢坂の体に残っていたタバコの香りが鼻を掠めた。

「ちょっ…代金もいらないって…」

いくらこの病院が慈善事業目的でやっていたとしたって、もう少し身の上を聞くとかしてもいいはずだ。それなのに『具合が良くなったら金もいらないし、身の上も聞かないから勝手に帰れ』と言うのは無責任すぎる。

「あ? あぁ、お金はね、もらってるから大丈夫。あー…それと、そうだ忘れてた」

矢坂の口から出た言葉はまたしても信じられない言葉だった。お金はもらっているって、簡単に言うけれど、誰からどうやって、どうしてとかそういった細かい説明がなかったからだ。

「お金をもらってるって、…と」

お金の事について尋ねようとすると、矢坂は麗一の手の上に一通の封書を置いた。

「これは…?」
「ここの診療代金を出してくれた人からよ。中は読んでないけど、内容はだいたい察しがつくわ。まぁ、アタシが言えるのは、アンタの人生だからよく考えてアンタが適正と思う方向へ行けって事ね」
「先生の言っている意味がいまいちわからないんですが」
「いまいちも、いまさんも、わからない奴は一生わかんないと思う。ただ、自分の、自分が思う、自分の為の、適正な道をみつけられた奴は、幸せって事よね。その手紙の主は、その適正を見抜くのが上手い奴なの」

矢坂は最初の言葉でさえも理解していない麗一に向かって、更に輪をかけるようにそう言葉を続けた。頭の中が混乱してしまって、麗一は淡々と話す矢坂と、手の上の封書を交互に見る事しか出来なかった。

「中を見ればわかるんでしょうか?」

そう尋ねる俺に、先生は無言で『さぁ?』と言ったような仕草をしてみせた。
何故、その封書に悩んだのかというと、それはその封書の見た目にあった。形は一般的な洋形封筒なのだが、色は深い闇のように真っ黒で裏には真っ赤なロウのようなものが落としてあり、何かの団体らしき刻印(ローマ字で“BN”と読めた)がしてあったからだ。
こんな封書なんて、日曜の夜にやる時代物をテーマにした洋画の中でしか見た事がなかったし、おおよそこの現代に、そしてこの俺の手の上に存在していること事態が異様に思える。

「確かに、こんな小僧からしたら物々しいわな」
「小僧…麗一です」
「細かい事にこだわるのね」

当たり前だ。
名前を最初に聞いたんだから、“小僧”は無いだろう。

「どれ、貸してみ?」

そう言って矢坂は麗一の手から封書をヒョイと取り上げる。白衣の胸ポケットに刺さっているボールペン群の中から小さなケースを取り出すと、何と中から出てきたのはメスだった。

「ひっ!」
「別に何もしやしないわよ。」
「普通、そんな所にメスって入れますか!? 衛生とか…」
「アンタ“普通”ばっかりうるさいわねぇ。別にこのメスをそのまま手術に使いやしないし使い古しのメスってわけでもないわよ。一本あると色々と便利なの。こんな風に手紙切ったり、リンゴ食ったり」
「リンゴって…」

確かに言われる通り、麗一は“普通”という事を意識しすぎてがんじがらめになっている時がある。だが、それにしてもポケットにメスを常備している医者なんて尋常じゃないという麗一は正しい。


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