◆石の上◆ ―囀り石奇譚―

モドル | ススム | モクジ

  「3」 −正体−  

そんな九條の言葉を耳にした時…
山高氏はそれまで座っていた石の上にすっくと立ち上がり、声高に言った。
「やぁっぱり、アンタだったんだねぇ…!どうも一之助に…このコにまとわりついてる匂いが…嗅ぎ覚えのある匂いだと想ったらまた性懲りもなく!」
その声を耳にした途端、九條の顔色がみるみるウチに変わった。
「貴様!!! まさか!!??」
「はぁい、そのまさか!久方振り!
‘九條 政重篤信’様!!相変わらずみたいでナニヨリねぇ。」
山高氏は帽子のつばを親指の先で少しだけ持ち上げながらニヤリと笑い、
胸元のポケットから煙草を慣れた手つきで取り出し、火をつけ思い切り吸いこんだ。
その仕草を憎々しげにみつめながら九條は怒鳴る。
「やはりそうか、貴様 ‘美島 音輪丸’!!このくたばり損ないが…!!!」
山高氏は楽しそうに肩をすくめ、
「くたばり損ないはお互い様でしょうに!」とフン、と鼻であしらった。
「山高さん!あの男を…御存知なんですか!?」
私は心底驚いた。余りに不気味な気配を纏った、気味が悪く得体の知れない九條。
かたや、やさしげで、温かな風情で、その場にいるだけで安心感を与える山高氏…。
明らかに風貌も対照的で…丸で接点のなさそうな二人は、
互いの本名を知るだけでなく会話から察するにかなり昔からの顔見知りの様だ。

しかし…“くたばり損ない”とは…?一体…。

その時、山高氏は丸で私の心を読んだかの様に言った。

「以前にも言ったがね、一之助。あたしは既に‘人’ではナイのだよ。
そしてアソコにいる九條も。言うなれば‘あやかし’。
‘妖怪’みたぃなモンなのサ。…元々は‘人’だったんだケドね。
まぁ色々の事情があって、“闇の世界”って言うか…
“あの世とこの世の境目”に棲む事になっちまった哀れで陽気な存在なのサ。
でもね、この九條って野郎は、その闇の仲間ン中でも野暮中のヤボ!
人の不幸の匂いを嗅ぎつけちゃぁ…手酷く荒らして回るって言う、まぁいわば
貧乏神みたぃなゲスで無粋な奴なのサァ!なぁ、そうだよな、九條さん?」
首を傾けて皮肉っぽく山高氏がそう言うと、それまでギリギリと歯を
噛みしめていた九條は手にしていた数珠を天にかざしながら叫ぶ。
「音輪丸う…!言いたい事ばかり言いおって…その減らず口…
今日こそ二度と開けぬ様、叩きのめしてくれるわ!」
私はソコで「ウッ」と小さく呻いた。
周囲の闇がドロドロと…丸で先刻の夕闇の様な禍々しい赤色に染まり始めたのだ。
あまりの薄気味悪さに私は思わず立ち上がり叫んだ。
「山高さん…こ…これは一体…」
しかし彼はあくまで楽しそうに先刻から姿勢を崩さない。
その時だった。
イキナリ私の背後で心臓を指し貫くような甲高い叫声がした。
仰天して私が振り向くと、私の脇を影が掠めていった。
その影が通り過ぎた本の数秒後、二の腕の辺りに微かな熱さと痛みを覚えた。
みると、着物の袖が、ぱっくりと裂けて、腕が見えていた。
その熱さと痛みを感じた部分からは、ぬるりと血が溢れ出している。
本の僅かの間に起こった出来事だったので、気が付いてから身震いした。
私は影の走りさった方向に目をやった。…と、その影は更に私に向かってくる。
お英の…妻の姿をした…別の女…。
「横瀬の旦那ァ…死んでおくれよぉ…」
その手にはシッカリと懐刀が握られていた。
「横瀬の旦那、アンタだけは生かしちゃおけないんだ…
このアタシの手で必ず葬ってあげるよ!」
女は 又 怯むことなく刀を握りしめ、私に向かって突進してきた。
「お前は…一体誰だ…!?」
切っ先を避けながら私は怒鳴った。
「さっき気が付いた…いや、先刻気付いたのだ!!もうずっと気付いていたんだ!
姿形は妻だが…お前は妻なんかじゃない事に!でも私は、お前の事を…知っている…!!」
「そうよ、九條、この女…と、言うかこの女の中味にいるのぁ誰なのサ?」
山高氏が女の方を見ながら言った。
「どうやら肉体(いれもの)と魂(なかみ)が別モノの様じゃないか?」
辺りは赤い闇に更に浸食して行く。先刻まで見えていた空も、木々も
家の灯りも見えなくなってた、が…おかしな事に自分達の姿だけは
その中でも浮き彫りの様にハッキリ見えている。
丸で世の中には 私と 妻の姿をした女と 山高氏と 九條の四人だけしか
居ないようであった。
先刻の山高氏の言葉に九條は又苦々しいとでも言わんばかりの表情で答えた。
「あぁ、その通り。相手が貴様ではもう隠し立てする気も起こらぬ。」
九條は女の方を見て目配せをした。
女はソレを横目で見てとってすぐ私の方を向き直って、言った。
「…横瀬の旦那…有り難いじゃないかぇ?アタシの事をほんの少しでも
覚えていたようだねぇ。でも随分頭の巡りは鈍くなっちまったんじゃないのかい?
…お英なんかと…お英なんかと所帯なんぞ持ちやがるからッ…」
女はキッと目を吊り上げて私を睨む。
恨んだようなあの目。
そうだ…間違いない…この女は…
「お前…ッ」
「そうだよ!旦那、あたしだよ!!お英と同じ店で働いていた、
お悦だよッ!ようやく思い出した様だねッ」

お悦…お英がおかしくなったあの日訪ねて行った…!やはりそうであったか…

お悦は、美しく、ずる賢く、…色々の意味でお英とは対極の位置にいる女であった。
私に好意を寄せていると言う点以外は。…そう。お悦は私に惚れていた。
否、私の財産に惚れていた様である。
カフェに来る大半の男の客は必死で彼女の美を褒め称え、
賞賛し、彼女の心を射止めようと躍起になっていた。しかし、
私はどうしてもこの美しい女が好きになれなかった。
幾ら外見を取り繕ってみても体全体に滲み出る、何かドロドロした…
卑しさ…狡猾さと言う恐ろしい害毒を本能で感じ取っていたからかも知れない。
お悦とお英…私は結果の通りお英を選んだ。最後に店へ私達が挨拶に行った時
お悦は物陰から私を見ていた。そう…あの恨んだような色をたたえた目で。
…それから妻が店を辞めた事もあって一時期パッタリと音信不通になっていたのだ。
だから、手紙が届いて、妻…お英が、彼女…お悦を見舞いたいと言い出した時
少し戸惑いを感じたが、そうそうある事でも無いし、病気で伏せっていると聞けば
私だって当然同情心がわく。供の者も付けるし、他の友人も来るらしいから、と
聞いて安心して出してしまったら…まさかこんなワケの解らない事態を
引き起こされるとは…しかもソコまで恨まれていたとは…
お英の中のお悦は喋り続ける。
「あたしはね、横瀬の旦那。アタシを選ばなかったアンタも憎たらしいが
何よりお英がどうしても許せなかった。全ての意味でアタシに劣っている
あの子がどうして私よりも仕合わせに成らなけりゃぁ成らないの?
アンタに見捨てられたアタシは、そりゃぁあの後ヒドイ有様でしたよ。
他の男に妙な病気は移される…店を追い出される…」
お悦はソコでニヤリといびつに嗤った。
「でもネ、この九條の旦那の御陰で…もう余命いくばくもない
アタシの体はこうして」と、お英の胸の辺りを拳で強く叩いた。
「お英の体と、とっかえっこして貰えたってワケ。」

彼女の言っている言葉の意味が解らなかった。

人の“中味”を…彼等の言う所の“魂”と言うモノを
入れ替える術があるだなんて…!!一体どうやって…!?
そんな『まさか』が、そんな『不思議』が、本当にこの世にあり得るのだろうか。
ちょっとまて…私の胸の内で急に恐ろしい思考に辿り着いた。
例えばそれが、本当だとしたら…そんな事が可能だとしたら…
妻の魂は、お悦の躰の中と言う事ではないか。
「じゃぁ妻は…お英は、一体今何処に!?」
「サァね。」
お悦はつまらなさそうに肩をすくめた。
「知るワケないじゃない。」
そこで九條が口を挟んで来た。
「お悦の体はさっきも言ったように病でボロボロだった。
ソコでこんな寿命の縮みそうな術を駆使したんだ、
お悦の肉体(いれもの)の方は、魂(なかみ)引っ張り出した時点で息絶えちまったよ。
あぁ、お悦の完全に息の根の止まった躰の方はちゃぁんと始末してきたサ。
お前さんのお内儀に付いてきた小間使いに金を渡したらな、あの娘、喜んで引き受けて、
私等と一緒に死体を片付けた後、そのまま金を持って何処かへトンズラしたようだ。
…だから、お前さんの女房は…入れ替わるべき肉体が無くなっちまったんだから…まぁ…その辺をフラフラ所在なく、“浮遊霊”にでもなって彷徨っているんじゃぁないのか?」
九條もお悦も嗤っていた。

私の方は、もう、怒って良いのか…泣いて良いのか…全く解らなくなっていた。
あの真面目な小間使いのみつが裏切りを働いた事も衝撃的であったが、何よりも
浮遊霊なんて今まで耳にした事も無い。
全てが常軌を逸した事態である、しかも目の前で人を嘲笑っている
この連中は人の命を単純に考え、弄んでいるとしか思えない。
…妻は…哀れなお英は、何がなんだか解らないまま
こんな非道い目にあって…今も何処かで彷徨っているだなんて…。
体中が、色々な感情でごちゃ混ぜになって、
震えが止まらず、涙が止め処なく押し寄せてきた。
「可哀想なお英…!!」
と、私が嗚咽と共に言葉を絞り出した時だ。それまで沈黙を守っていた山高氏が
大きな声で大分芝居がかった声をあげた。
「こぃつぁ魂消た(たまげた)!“霊替(たまがえ)ノ術”又は“輪違(わちがい)ノ術”
又は…嗚呼、もういいや名前なんざ。兎に角…九條、そんな凄ワザ出来たのねぇ。
ま、もっとも成功したのは片方だけだったみたいだけど、それでも
人の霊魂を生きている状態で引っ張り出すなんざぁ、並大抵の連中じゃぁ〜
出来ないわなァ。ブラ−ヴォ!いゃいゃ大したもんだ!!」
山高氏は相変わらず煙草を吹かしながら、顔の脇まで手を持っていき
大袈裟に三度だけ拍手をした。
その様子をみながら表情を変えず、薄笑いのまま、九條は言った。
「貴様に言われても小馬鹿にされているとしか思えんな。音輪丸よ。」
「小馬鹿にしてる?そうじゃないわよ。目一杯馬鹿にしてんの。」
九條が怒りの色を露わに叫んだ。
「生意気な青二才のクソガキが!!」
山高氏は負けじと大声を張り上げた。
「耄碌(もうろく)したな!九條!!この老いぼれのクソジジイめ!
あたしに‘くたばり損ない’とほざいたクセしやぁがったってぇのに!!
先刻うぬの方が言ったのをもう忘れたか!!」

「もう容赦はせん!!」
その言葉と同時に九條は山高氏目がけて駆けだした。
山高氏はフンと笑うと本の少しだけ身をかがめた。
「やれるモノならやってご覧な!」
彼は相変わらず石の上からは降りる気は無いようだった。
「音輪丸、詫びるなら今だぞ!?」
何やら光りとも靄とも付かない様なモノが
怒鳴り続ける九條の 数珠を持った方の手に纏わりつきはじめた。
と、言うよりも数珠からその光りは沸いてくる様であった。
やがてその奇妙な光りは、
嫌らしい粘ついた、…蟷螂の卵の様な色をした物体に変わり、
どんどん大きさを増し、終いには背丈は八尺程、幅は六尺半まで膨れあがった。
九條は歩みを止め、ニタリといやらしく笑う。
「どうだ…見事であろう?…秩父で捕らえ、私が育て上げた“牛鬼”だ。」
虎の体、蜘蛛の足に蛇の尾、牛に似てはいるが鋭い角を持つ頭には、
毛が生えておらず、猿の様に赤く皺だらけだ。
そんな化け物がヒィヒィと耳障りな息を漏らしながら
先刻まで数珠が絡まっていた九條の腕で、
数珠の代わりと言わんばかりに、よろめく素振りもなく留まっている。

その時その“牛鬼”が咆吼した。
この世のモノとも思えないその耳をつんざくような声に私は震えが止まらなかった。
その声に周囲の草木がぬらぬらと小刻みに震えながら揺れた。
全てが私の常識を越えていた。赤い闇の中で見たこともナイ…
気味の悪い化け物が吠える。
此処は地獄か?私は生きながらにして地獄へ迷い込んでしまったのではなかろうか。
お悦も、あまりの出来事に初めはわなわなと震えていた。が、
「お悦、折角機会を与えてやったのだぞ?早くお前もカタを付けないか!!」
と九條に声をかけられハッとして、キッと私を向き直り、快刀を握り直すと
また私へ突進してきた。
その時、山高氏が叫んだ。
「一之助ッ!走れッ!私の方へ向かって走ってくるんだ!!」
今度は私が山高氏の声に反応する番だった。私は
言われたとおり山高氏の方へ全力で走っていった。

そう遠くない距離なのに、なんだか妙に時間が長く感じられた。
後方を振り返ると、お悦が物凄い形相で私を追ってくる。
目の端に一瞬“牛鬼”が吠える体勢を取ろうとしているのが見えた。
私はゾッとして、目線を山高氏に戻し、先刻よりも必死に走った。
案の定“牛鬼”は吠えた。
その声が空気を震わすと、体がこわばって動きが鈍くなった様に感じた。
もう一度振り向くと、お悦の姿が先刻よりも近い。
私はギョッとして身をすくめた。と、その時、山高氏がまた叫んだ。
「違う一之助ッ、勘違いなんかじゃないッ!!牛鬼の咆吼には、
人の動きを鈍くする力があるんだッ!!!」
気付けばお悦の顔が、手を伸ばせば届きそうな場所まで来ている。
―…もう終わりか?此処までか?…鈍い体の動きとは裏腹に
物凄い速度でそんな言葉が脳裏をよぎる。…と、
その思考を断ち切るように山高氏の張りのある声が響いた。
「かがめェッ!一之助ぇッ!!!」

私はとっさに身をかがめた。…というよりもその場に頽れた。

その時山高氏が、持っていた…あの美しい黒檀のステッキを
丸で槍でも投げるようにお悦に向かって投げつけたのだ。

ステッキは私の頭上を通り越し、真後ろに迫っていた
お悦の額の真ん中に…命中し…
そのまま、小さな輝きを放ちながら先端の部分からすうっと
彼女の中へ吸いこまれていった。
と、それに弾き飛ばされた様に、押し出される様に、
その体の後方にヒトツの人影がぬるりと抜け出した。
前方の体の方は、そのまま地面に突っ伏したので、
改めてその人影が誰であるか確認できた。

それは紛れもない「お悦」の姿であった。

しかし、姿が見えているのに、…どう説明していいものか良く解らないのだが…
空気に紛れてしまいそうな「あやふやさ」を纏っている。
手には先刻の懐刀も握られてはいない。
よくよくみてみれば着物も違う。
お悦自身も呆然として、理解が出来ないと入った風に自分の足元へ目線を落とした。

私の目の前には。先刻まで私の命を奪おうと躍起になっていた女が倒れ伏していた。
女はその体をゆっくり持ち上げた。
懐刀を握っていた右の手の指が、ゆるゆるとほどかれていく。
全身で苦しそうに息を漏らしていたが
やがてその吐息の合間から、小さいけれど…芯のシッカリした声がした。

「旦那…様…!」

女が顔をあげた。その頬は涙に濡れている。

「!!!」

強ばっていた何かが一気に弾け飛んで、
私は図らずも叫ぶように彼女の名を呼んだ。

「お英!!!」

「はいッ…はい…お英で御座居ます…旦那様…」

彼女は震える手を伸ばしてきた。私は必死で彼女を抱き締めた。
「戻ったか!戻ったのだな!?ああ、一体でもどうやって…?!」

彼女は私の背中に強くその手を回して言った。
「音輪丸様で御座居ます。魂魄となって彷徨っていた私を
音輪丸様が導き、救けて下さいました。」

…丸で、闇夜の月の様に。

彼女の切に訴える声が私の体中に染み渡る。

私はもう一度彼女を強く抱き締めた。
溢れてくる涙が止まらなかった。

その時背後で神経質な叫声が響いた。…お悦であった。
「…チクショウ…!どうなってるんだ…!!一体どうしちまったって言うんだ!?」
彼女は半狂乱で、九條を見て怒鳴った。
「九條の旦那!!一体全体どうなってるのサ!?」
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