旭日昇天銀狐

第3章−7 千里眼

こんな良いカモなオヤジから金を取らないって何を考えてるんだこの弁護士、とアリアリとその表情に浮かんでいる。

「いや、実はですね。裁判になった、とかそれ以外…よーするに今後もその、相談料に関してはタダでいいので……あの……」

今度は一堯が顔を近づける。その頬が紅潮しているのを見て取って、朝彦の表情が一気に不安そうな色に染まった。
一堯は朝彦から目を逸らさず、例の大きな声で自分の気持ちを伝える。

「お…俺の師匠になって貰えませんか?! 」
「はぅあ?! 」

又しても素っ頓狂な声をあげて、朝彦は宝石の様な色の瞳をカッと見開いたまま動きを止めてしまった。一堯は真っ赤になりながら足速に移動して、デスクの三段目の引き出しから原稿を取り出す。

「いやあの、俺、実はずぅっと自伝を書いてみたくてですねっ! 仕事の合間とかにちょこちょこと書き溜めてたモノがあるんですがっ。でもあの、まだ誰にも見せた事なくてっ…! 客観視も出来ずに悶々としててっ! と……兎に角一度みて頂けませんかっ!? 」

そう早口で一気に捲くし立てると一堯は朝彦に原稿を手渡す。
A4の用紙でたっぷり50頁はありそうなソレを朝彦は受け取ると、無言のまま小刻みに3度頷いて原稿に目を落とす。
最初は一堯の唐突な申し出に困惑していた様だが、いつの間にかその視線は物凄いスピードで文章を追い始めた。
余りにもその速度が速いので一枚……また一枚と素早く頁がめくられて行く度、本当に読んでくれているのか? と一堯は不安に成って来る。

沈黙。
窓ガラスの向こうの風がフッと音を立てて鳴る。
そこで朝彦が顔を上げた。

何か言おうと口を開ける……。が、言葉が出てこない。明らかに動揺していた。
ちなみにこの朝彦、一堯には年齢が読めなかった様だが今年で50歳である。その50年近く生きている中で、お世辞が言えず真っ正直でこの歳まで過ごして来た不器用な人間だ。
悟って一堯も胸の中で絶叫した。

――あ…明らかに顔が無理ッて言うてるぅううううううっ!!!!

当然解っていた事だがこう改めてまざまざと現実を叩きつけられると流石にショックが大きい。

「やっぱ無理ッスか…。イヤ、解ってたんでハッキリ…」
「あっイヤッ全部が悪いっつーんじゃなく…リズム? つーの!? それがバラバラっつーかっ!! 」

朝彦は焦ってそう言った後、フ、と微笑んだ。一緒にいる人間が安堵する様な酷く優しい笑顔である。そして原稿に目を落とすと穏やかに言った。

「てか…ネタはいいんだ。すげぇ気持ちが伝わってくるし。何より仕事の合間とって、こんなに書けるってこたぁ根気もあんだろ」

朝彦はそこで一度言葉を切り、少し考え、間をおいてからハッキリ言った。

「少し勉強してみるかい? 」
「えっ!? 」

正直驚いた。絶対無理だ、止めておきな、と言われるのを一堯は覚悟していたのだ。
寧ろ自身に見切りを着けて、趣味でコッソリ書いているだけに留めて置くだけにしな、と言って見切りをつけるいいキッカケを与えて貰えると思っていたので、思わぬ申し出が却って意外だったのである。

朝彦は言う。
「“自分で書いて見たい”って言うその考えが気に入りましたよ、平手さん。 安直に丸ごと私に頼んでしまうのではなく、自分で書こうとするその姿勢が。ここまで書いたんだ。折角です、いっちょやり抜いてみますか。 あ、でも相談料は取ってくださいよ? ソレとコレとは話は別ですから」

一堯の顔が一気に綻ぶ。まさかの師弟関係成立である。

「お願いしますっ! 」

一堯はそう言って嬉しさの余り朝彦の両手を取って握りしめた。
朝彦は一瞬驚いた様に目を見開いたが、微笑んでその手を握り返す。
一堯の熱を帯びたそのぶ厚い手の力強さで、朝彦の負傷中の右手が本の少し痛んだがその痛みが心臓辺りに教えていた。


これがはじまりだ、と。



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