旭日昇天銀狐

第3章−3 千里眼

その日……一堯〈かずたか〉は機嫌が悪かった。

暑いと言うだけでダラけてしまいそうなのについさっき“妻達”と一悶着あった為だ。
何故“妻達”かと言うと、実は一堯には内縁の妻が3人いるからである。何れも籍は入れていないが子供の認知はしている。
一堯自身も職業柄かなりの額を稼いでいるが、妻の内二人は手に職を持っているし一人は自分の仕事を手伝いながら家事全般をこなしているから経済面で困った事はない。
いわば俗に言うハーレム状態と言えるこの状況。世の男性諸氏には羨ましくも妬ましいシチュエーションなのだろうが、こう言った事態の時、悲しいかな男と言う生物は特別圧倒的に不利な状態に立たされるものだ。

事の発端は去年の5月に遡る。

数日降り続いた雨も一旦上がって、久々の快晴であった。

一堯の事務所にかかってきた一本の電話から始まる。ベルはオッフェンバックの“天国と地獄”の序曲。室内にけたたましく鳴り響く、その音を耳にしながら一堯は憂鬱に成る。
その日は事務処理や電話番をしてくれる妻の一人、ミカが買い物で留守をしており、事務所には一堯一人きりだった。のそりとソファからその大きな体を起こす。

――ああ、電話出んのイヤだな〜……

と、言うのも一堯が電話応対をするとどうも依頼人が引いてしまう傾向があるからだ。
周囲の人間の話しだと、トーンが低い割りにハリがあって大きくて、ドスが効いているのが問題らしい。
「一体何処の何系の事務所へかけちゃったんだ!?」と不安に陥るのだと言われた。
まぁ、事実その筋の人からの依頼も場合によっては受け付けるし、直接事務所に来たとしても、180cmを超える大きな体躯と学生の頃にやっていたラグビーで左の頬に負った怪我のお陰で、その筋の人と勘違いされる事がままあるのだが。
そう言う理由から、取次ぎまでは全部人当たりの良いミカにやらせている。
だが、そのミカがいないのだから仕方ない。
事務所の入り口付近に設置されている電話に辿りつくまでに切れてしまえなどと、不届きな事を考えながら歩き出す。電話の方は切れる気配は一向にない。覚悟を決めて毟り取る様に受話器を取って耳に当てた。

「ハイ、平手法律事務所です」
『あ、どうもはじめまして。えーと…弁護士さん…の事務所?』

電話の向こうの声の主に一堯は一瞬戸惑い目を見開いた。
男か女か若いか年寄りか…丸で見当がつかないなんとも不思議な声で、聴いている一堯の背骨に何か得たいの知れない電気のような痺れが走る。

『もしもし?』

一堯が答えないので、電話の向こうの相手が声をかけて来た。慌てて返事をする。

「あ…は、ハイそうですが」
『特殊な相談なんだけど…お宅はネット関係とか著作権関係問題とか詳しい?』
「え、ええ、まぁ一通りは」
『そう。ちと面倒な話なんだけど、一度相談に行ってもいいですかね?』
「いつ頃でしょう?」
『出来れば早い方がいいんですが。そちらの御都合の良い時は…?』

一堯は受話器を肩で抑えて顔に当てたままスケジュール表を広げた。幸い今月はそんなに面倒な依頼主も調査もない。いつでも良かった。
仕事でそんな事を言っては不謹慎なのかも知れないが、どうもこの電話の主に興味がある。なんだか話をして見たくなって、思い切って吹っかけてみた。

「それなら今からは如何でしょう?この後すぐなら空き時間がありますんで」
『今から…ですか』

電話の主もスケジュールを確認しているらしい。向こう側でガサガサと音が聞こえる。
ややあって、返答があった。

『それじゃ今から伺っても宜しいですかね。多分20分後になりますが』
「結構ですよ。お待ちしております」
『では、20分後に……』

一堯は相手が電話を切ったのを確認してから受話器を置く。
気になる依頼人の時は大抵そうなのだが、20分後がなんとなく待ち遠しかった。


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