彩夢 1-4

モクジススムモドル
「そんなことがありましたか」

隣にいた青年が、達也の向かいカウンターの中でグラスを拭きながら相槌を打つ。
注文したモスコミュールをゴクリと喉へ流す。炭酸の刺激が乾いた喉とイラついた心をとても潤してくれた。

「俺だって、人の生き死にに対して敏感ではなかったかもしれません。汚い言葉で言えば、ヒトゴトというか…。それでもだからといって、何だか愛美の死を無駄遣いされたようで」

鬱々としていた気持ちを一気にぶつける。音はそれを嫌な顔ひとつせず、うんうんと頷いて聞いた。接客業としては当たり前なのかもしれないが、自分の気持ちをぶつけられる相手がいるだけで、達也の心が徐々に軽くなって行くのがわかる。

「達也さんは、思い出ってなんだと思います?」
「思い出ですか。過去の出来事や記憶を思い出す事でしょうか?」 
「では忘れるとはなんだと思います?」
「忘れる…反対に記憶が無くなる事でしょうか? それが?」
「よく、人は忘れられる生き物と言いますよね。では、どうして忘れられない出来事は存在するのでしょうか?」
「忘れてはいけない、例えば自分の人格を形成するような親とか先生とかの存在があるからではないですか?」
「ええ、確かにそうです。ですが、それも覚えているのはほんの一部です。一分一秒をまるでコンピューターのように正確に覚えている事はありませんよね」

言われてみればそうだ。では親と行った家族旅行、恩師と仰いだ先生の言葉、それらを一字一句思い出そうとしても断片的でしかない。楽しかった家族のスキー旅行というタイトルだけが頭に浮かび、漠然とした印象だけしか残っていないのだ。

「人の記憶なんてものは、”あの日”とか”あの時”といった曖昧で漠然としたもので成り立っているような気がするんです」
「そう言われると確かにそうかもしれませんね」

もうグラスに半分以下になったモスコミュールに残る炭酸に目をやりながら達也は返事をする。

「”あの日”の自分と”今日”の自分が、フとした所で顔を出し、笑い、怒る。そんなものが思い出なんでしょうね。今、この瞬間もどこかで誰かが”あの日”と”今”とを行き来しているのかと思うと、私達がいつどこに存在しているかなんて事が不思議に思えてくるんです」
「そう考えてみると、何だかちっぽけな感じですね。何かこう、俺の思い出なんてものは、大きな存在の中に飲み込まれた小さな小指の先…いや、もっともっと小さなものだって」

音は、カウンターへ身を乗り出し少し陰を含めたような瞳で達也へ近づくと、指を立てて言葉を制止した。

「何も悲観的になってはいけません。そういうつもりでの話しではありませんから」
「ええ、ですが」
「あなたの思い出はあなただけが体験した素晴らしいものです。だから、誰と比べるものではありませんよ」

そう言って、音は薄く微笑むとカウンターの中へ身を戻して背後の棚から、ひとつの酒瓶を取り出した。

モクジススムモドル
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