◆鏡のパルス◆ ―雲外鏡伝奇―

モドル | ススム | モクジ

  「3」 −鏡の国の住人−  


まっくらやみ。

目を開けているのか・いないのか解らなくなる程の。
あお向けの状態で地面に横になっている事だけは辛うじて感じ取れた。
ただ、どこに視線をやっても黒かった。
中空も地面も、ただひたすら黒かった。
彼女は、ヒトツ身震いして、自分で自分の躰を抱き締めてみる。
ブレザー越しに、腕の温もりが本の少し伝わって、少しだけホッとした。
次に右手の人差し指を、瞼へ持っていった。
…細い睫が指先に触れる。それは微かに震えていた。
そのまま目の縁をそっと撫でてみる。瞼は開いていた。
―やっぱり私が目を閉じてるワケじゃないや。
目が見えなくなった?…彼女はその考えをすぐ否定した。
間違いなくそこは「くらやみ」だった。

心臓の音がやけにハッキリ聞こえる…。

耳が押しつぶされそうに成る程の静寂。
「なんで…」
彼女は思わず口に出して呟いた。
なんだか、その呟きすらも闇に飲み込まれてしまいそうだ。
彼女の不安は益々胸の中で大きく膨張していった。
鼓動がその回転数をあげ、ノック音をどんどん早くしていく。
息づかいが段々と荒くなっていく。
不安に押しつぶされそうになって、上体を起こした。
「なんなのよぉ…」
自分でも意外なほど声が震えている。

その時だった。

―ナ・カ・ナ・イ・デ…―

微かに耳元で誰かの声がした。
彼女はビクッと身を震わすと、周囲を見回す。
でも、やはり闇が一面を支配しているだけだ。
―でも、今、確かに声がした…。
彼女はもう一度周囲を見回し、恐る恐る闇に向かって話しかけてみる。
「…誰か…いるの…?」

―ナ・イ・チャ・ダメ…ダ・…ヨ―

やはり誰かいる。彼女は闇の向こう側の誰かに言った。
「ねぇッ…ココどこなのッ…?アナタッ…誰なの!?」

沈黙。

返事がナイので彼女は手探りで地面を確かめながら声の主を探した。
「お願い!返事してッ!何処にいるの!?」
が、その呼びかけに反応はナイ。彼女は堪えきれなくなって叫んだ。
「ちょっと、お願い!返事だけでもイイカラしてよッ!!!」
今度はその声に反応があった。
…が、その反応の仕方に…彼女は又ゾッとした。

さわ・さわ・さわ…―…

無数の人の囁き声。幽かに、だがシッカリと。
それは闇の中で木霊し、あちこちに反響する。
どうやら何かを相談している様だ。

それは本当に気味が悪かった。

その声の主達の方向が全く掴めないのだ。
真っ暗闇だから?いや、反響してるから?
彼女は無理矢理唾を飲み込むが
口の中がカサカサに乾いているせいかうまく飲み込めない。

―ク・ル・ヨ―

また声がする。と、そこで彼女は気が付いた。
その声は彼女の鼓膜で捕らえている…と言うよりも、
体の中にスッと入り込んでくる感じだと。
頭の中に響く感じと言ってもいいかもしれない。
彼女の全身が一瞬にして粟立つ。
―誰よ!何が来るって言うのよ!?―
彼女は胸の中で叫ぶ。するとまた幽かな声がした。

―ヤ・カ・イ―

え?何?考えている事に答えを返してきた…?
マサカ!彼女は頭を振った。人の考えが読めるとでも言うの!?

―ウン―

さっきとは、又違う声が応えて来た。

「嘘でしょ…?」

―ホント・ダヨ―

また違う声だ。百合は脅えた。だってこんな事生まれて初めてだ。
いや、他の誰だって驚くだろう。
それよりもこんなメに遭った人なんているんだろうか?
彼女は両手をギュッと握り締め、胸に当てた。
だが、恐れている場合じゃない。
今この真っ暗闇で頼るものは、この声しかないのだ。
「ねぇッ…一体ココどこなの!?それに…“ヤカイ”って、誰!?」
さわさわとしたざわめきがソコでピタリと止まった。丸で風が止まる様に。
「ねぇ、誰か答えて…」彼女が二度目に言いかけた時だ。
―キ…タ―
声が一斉に同じ方向に向かって投げかけられた。
どうしてそう感じたのかはワカラナイ。
けれど、間違いなく見えない声の主達は、
同じ方向をみつめ、息を殺している。
だが、彼等は恐れているとういう感じではなかった。
百合は似たような気配を知っていた。
なんだったっけ。
あれは、そうだ。
従姉の子供を家で預かってる時の事だった。
そのコの雰囲気に何処か似ているのだ。
親を待っている子供が、戻ってくる親の気配を感じようと、
五感を研ぎ澄ましている様な…そんな感じ。

そこで彼女の思考は途切れた。
周囲に異変が起きたのである。

ほぅ ほぅ ほぅ ほぅ…

動物の声とも空気の変動で起こる音とも少し違う
奇妙な音があちこちで鳴り始め、その音のする場所から
白色、薄黄色、水色、淡い桃色、萌黄色、橙色の光が
次から次へポッ、ポッ、と生まれてくる。
やがてその光は滑らかに空気を滑り始めた。
光が闇にスゥッと尾を引いていく。
綺麗だった。
…が、何故かその光達は何故か皆一様に、物悲しげな色をしている。
―これ、以前どこかでみた色だわ。
百合がそう想った時だ。
彼女の背後でゴォオッと風が炎を孕んで巻き上がる様な
激しい音が聞こえた。

闇から炎が産まれる…。
その炎の色は、“あおだった。
青…蒼…藍…水…空…瑠璃…紺…
それ等の色をした柔らかな炎の触手が
黒々とした闇に向かって
せわしなく何度も伸びたり・縮んだりを繰り返す。
やがて、その形は人型を作る。
…その炎の中核には、鏡の中から彼女をにらみつけていた男がいた。
炎は少しずつ、男の体の中に吸い込まれて…消えた。

―ヤ・カ・イ…

―ヤ・カ・イ…

あの淡い光達が尾を引き、幽かな声をあげながら、
男の周りをフワリ、フワリと浮遊している。

そうか、この男が“ヤカイ”…。

私を鏡の中に引き釣り込んだのも、
この暗闇の中に落としたのも
こいつの仕業…!

そう思った途端、異常な状況続きで、
麻痺していた恐怖心が、体の奥底から逆流してきた。
全身になんともいえない震えが走り、冷たい汗に覆われた。

が、百合は、恐怖心を無理矢理押さえ込みながら再度男をみつめる。
改めてみてみると、男は若かった。18〜20歳…といった所だろうか。
少し長めの髪も、ボロボロのシャツも闇の色と同じなせいか
周囲の黒と同化してしまいそうだった。
腕には曲線が絡み合う様なタトゥが入っている。
ただ、目だけが違った。
その大きく、少しつりあがった眼の色は角度によって違って見える。
それは、あの男が出てきた、独特の変化をする炎の色と
同じ様な“あお”だとすぐ気付いた。
見た目は丸っきり日本人と変わらないのに眼が青いのが不思議だった。

―オカシイな…

百合は思った。物凄く恐ろしい状態であるにも関わらず、
頭の中だけは妙にクリアーなのだ。
色々な出来事や、ちょっとした物事全てを明確に判断している。
今までの人生の中で物事がそんな見え方した事などなかった。

その時。男が固く結んでいた、口を開いた。

「お前の人生をよこせ。」



―お前の人生をよこせ。―



本来ならその重いハズのその言葉を、男はサラリと言ってのけた。

「アンタ誰…?」
少し声が掠れた。
「お前の人生をよこせって、マジで言ってんの?」

「ああ」
男は呻くような返事をした。
「正しくは、お前の‘体’…ようするに
‘入れ物’をよこせって事さ。」
ぞっとするほど冷たい物言いだ。冗談も・嘘も一片たりとも見当たらない。

でも、ばかげてる。
そんな事、出来るハズがない。
思わずフッ、と呆れたような笑いが漏れた。
そのあからさまな嘲笑の態度に、ヤカイが問いかけてくる。
「何がオカシイ?」
その反応に百合はもう一度鼻で笑いながら答えた。
「そんな事、出来る訳ないでしょ?アンタ、バカじゃないの?」
その言葉に脅えた様に、周囲が本の少し‘さわ'と揺れた。
だが…言葉を投げかけた当の本人の反応は、
全くと言っていいほど、ナイ。
ただその目だけが彼の心を映し出している。
…明らかに、激怒していた。
彼女もそれに気付いていた。が、ヤカイと呼ばれるこの男の
ポーカーフェイスをみていたら無性に腹が立ってきた。
―勝手な事ばかりいいやがって!
そう思ったのをかわぎりに、感情が雪崩の様に口をついて出て来た。
「大体サァ、あたしの体をよこせって?なんなわけ?
ワケワカンナイんだよね!ハハッ、つーか、アンタセクハラオヤジなの?
人、こんな気味の悪い場所に引き釣り込んで何する気だっつーの!
マジウザイですけど!」
一気にまくしたてたので息が少し切れたけれど
怒りを吐き出すだけ吐き出したら、大分スッキリした。

けれど、そんな彼女の感情とは裏腹に、周囲が益々ざわつき、
彼女の耳の側…頭の中へ…直接話しかけてくる。

―ダメ…―
―オコラセチャ、ダメ…―

けれど、恐怖が怒りに変化し、苛立っている彼女にとって
その声達の必死の訴えも、神経を逆なでさせるだけだった。
「うるっさいなぁ!少し黙っててよッ!!!」
そう叫んだ時に、彼女の中にヒトツの考えが浮かんだ。
―そうよ。もしかしたらコレ、ただの嫌な夢かも知れない。
だったら言いたい事ハッキリ言っちゃえばイイや…
すると、そこで、ヤカイがようやく口を開いた。
「…って言うか、ホントに愚かなんだな…お前さん。
この異常事態に緊張感てモンがねぇってんだからなぁ…。
自分の身に何が起こってんのか理解してねぇのかよ。
夢なワケねぇってんだ…!それだけじゃねぇ、コイツ等が
本気で心配してんのもワカンネェなんてよ…。哀れみさえ感じるぜ。」
体中の筋肉がギクリと音を立てる。

コイツも
人の考えてる事が
解るんだ…!!!

体の中で膨張していた怒りが、一気に収縮し
背骨に何か得体の知れない冷たいモノが走った。
「アンタ、一体…何者なのよ…?」
すると先刻まで、無表情だったヤカイが
突然、怒りの表情をあらわにし、
「お前に俺がなんなのかを教えた所でナンになる?
俺もお前の名前なんか知りたくもナイね。」
と、早口で・冷たく言い放った。
百合はそのイキオイに、少しのまれそうになって、一瞬怯んだ。
が、ここで引いたら負けの様な気がして、強い口調で言い返す。
「あ…アタシをこんな所に引き釣りこんでおいて
良くそんなコト言えるわねッ!!
あぁ…そうかァ…こんなワケワカンナイコト出来るアンタって、
悪魔とか鬼とかの類じゃないの!?ホンット、最低!!!!」
…その言葉を聴き終えるか終えないかのウチに、
ヤカイが突然、声をたてて嗤いだした。
それは完全に嘲りが込められている。
「な、何よ!一体何がオカシイのよッ!?」
「本当、お前ら人間はモノを知らない連中が多いなぁ!全くよう!
自分達に理解出来ない事や、不気味で異常で常軌を逸した
恐ろしい事は全部、鬼だの悪魔だのの責任だ!!」
「アンタが鬼や悪魔じゃないならなんなのよッ!?」
「そうだなぁ、冥土の土産にソレ位は教えてやってもいいか!」
ヤカイは口端しに冷たい笑みを浮かべたまま
見下すように顔を少し後ろに逸らせ、彼女に言った。
「強いて言うなら俺は‘妖怪’だよ、よ・う・か・い。」

人を小馬鹿にするにも程がある。
言うに事欠いて、「妖怪」だなんて。
反論する気にもならなかった。

どうせ、鬼だの悪魔だの妖怪だのなんて、皆同じモノだろうに。

そこで、ヤカイがチッと舌打をし、苦々しく言った。
「あーぁ…、言うんじゃなかったぜ。全部似たようなモンだと思ってやがる。
言っておくが、鬼や悪魔ってのぁ元々神様って事が殆どなんだよ。
俺達妖怪って呼ばれるモンとは格が違うんだ。良く知りもしねぇで
そんなナマイキばっかり言ってると終いにゃぁバチが当たるぞ。」
また、考えを読まれた。気味が悪くなって、思わず百合は怒鳴る。
「読まないでよ!」
「は?」何の事だか解らないのか、ヤカイは一瞬深く眉根を寄せたが
ああ、と呆れた様に肩をすくめて言った。
「考えを読むな、といいたいのか?…別にこっちはナニも好きで
テメェの頭の中を読んでるッてワケじゃねぇんだ。
自分の意思とは無関係に、お前が心底想ってる言葉は、
全て筒抜けになっちまうんだよ…俺達ゃ。」
「妖怪はみんなそうだってワケ?そんな事信じられると思うの?」
「フン…そんな辛さなんざ、わからねぇし考えようともしねぇってツラだな。
他人の身になって考えようなんて気はサラサラねぇ。…
お前だって、一歩間違えりゃ俺達のお仲間だってのによ…。」
その時、百合はヤカイの言葉の奇妙な部分に気がついた。
「俺達…?」
「そうだ、俺達だよ。」
ヤカイは周囲を見渡す。
ソコにはあの柔らかな光達がフワリフワリと弧を描いて空を舞っている。
「俺達って…」
その時、その光達がヤカイの周囲にそろり、と寄り添い
やがて彼の周りをゆっくりと回り始めた。
「お前を心配して声をかけたのはこいつ等だよ。」
すると、その光達は、一斉に、やさしく…そして悲しい声で喋りだした。
―ヤカイ…
―ソノ…コ…
―カエシテ・アゲ…テ…
―ボ・ク ハ…
―ワ…タ…シ・ハ
―コノ・ママ、デ…イイ・ヨ…
百合は光達の言葉を聴いたその瞬間、
ようやく自分の置かれている立場を本質から理解した。

そして、この光の正体も。

「お前の人生を…ッ、か、体をよこせっ…て…!」


―私に死ねって言ってるんだ…!!


モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) SPACE AGE SODA/犬神博士 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-