◆鏡のパルス◆ ―雲外鏡伝奇―

モドル | ススム | モクジ

  「1」 −イヤイヤ病−  

「ゆり、また遅刻するわよ!いい加減に起きなさい!!」

―母さんの声だ。ウルサイな…

布団を被って無視しようとする。

「ゆり!!起きて!!!」

―ホント勘弁してよ…幾ら一戸建てだって、隣とかに聞こえるじゃない…
うずくまって耳を塞ぐ。

「ゆり!」
が、母親の声は益々大きく家中にキンキンと響く。
「あーもぅッ!起きるよ!起きればイインデショッ!!!」

彼女は怒鳴りながら布団を払いのけた。
初冬特有の冷たく澄んだ空気が一気に彼女の躰から体温を奪っていく。
「もぅ…マジでありえないから。」
ヒトツ身震いして、二の腕を掌でこすり、顔を不快そうに歪め、
ぶつくさ文句を言いながら、ノロノロと制服に着替え始める。
少女の名前は川野百合。公立玉置高校の二年生だ。

「ゆり、また朝ごはん抜くの?」
「いらない」
母親の問いかけに対してゆりはぶっきらぼうに答える。
「決まり物なんだから…食べていけばいいのに。」
―誰が決めたのよ、そんな事。法律で決まってるんですか?
彼女は頭の中でそう想っただけで、言葉にはしないまま母親を一瞥した。
母親は、ただ心配そうに彼女をみつめている。
―ウザイな…人が嫌な顔してるんだから気付いてよね…
ちょっと無神経なんじゃないの?
彼女は視線を母親から外し、そのまま玄関へと向かった。
「本当にいいのね。」
「いらないったら!しつこいなぁ!!」
不機嫌そうにそう言った途端、父親の怒声が居間から飛んできた。
「ゆり!なんだ、母さんに向かって!!そのクチのきき方はっ!!」
―だから怒鳴らないでって言ってるじゃないッ…!

恥ずかしい。
嫌悪感でイッパイになる。
なんで私、こんなウチに生まれちゃったのかなァ…
彼女は呆れた様なわざとらしい溜息をヒトツついて、扉を開けた。

「ゆり!!」
父の声がまた聞こえたが、彼女はそれも無視し、無言のまま表へ飛び出した。
初冬のひんやりとした空気。屋内の暖かさが良く解ったけれど
家に戻って温まりたいとはとても思えなかった。

―家、イヤ…。

いつもの通り慣れた銀杏の並木道を通り抜けて、駅に着く。
既に通勤の人々が右へ左へと流れを作っていた。
彼女がホームに辿り着くとほぼ同時に通勤快速が滑り込んで来る。

―走る電車の車体を見つめてると
どうして時々吸いこまれそうな錯覚に陥るのかな…?

時折、彼女はそんな感覚と思考に捕らわれていた。

扉が開くと、車内から丸で弾かれた様にしてドッと人がなだれ込んでくる。
下車する人々の減る頃合を見計らって、今度は乗る人がなだれ込む。
皆、空いてる席を確保しようと必死に目を光らせている。
押し合いへし合い…譲り合いの精神なんてあったモンじゃない。
その上、超満員。157cmの彼女には、この人ごみは辛すぎた。
人が多い場所は酸素も薄くなる。その上、澱む。
冬だからまだマシだが、暑い日はたとえ冷房が効いていても
他人と体を密着させるのは結構キビシイものがある。
最近は女性専用車両もあるが、一両、二両だけとか、
先頭車両だけの場合が多いから
時間に余裕がナイ今日みたいな日は絶対乗れない。
それに彼女が乗る駅も、下りる駅も改札が後方だから、
先頭車両からだと、結構遠くなる。
色々荷物が多い日は特に厄介だし…不便だ。

―電車、イヤ。

彼女は背広の群れに押しつぶされそうに成りながら
カバンを抱きしめ、うつむいた。

電車が彼女の下車する駅に止まる。
「通してください…!」
彼女はうざったそうに肩を動かしながら気の利かない
乗客達を掻き分けて出口に向かう。
その為に、彼女と一緒に扉の外に押し出された小柄な中年が、
小さくチッと舌打ちした。彼女はキッとその男を睨み付けた。
男は発車のチャイムのせいとでも言わんばかりの素振りで、
彼女から目を背けるとそそくさと電車に乗り込んだ。
電車が風を巻き込み、軋みながら走り去る。
それを横目で見ながら彼女は出口へ歩き出した。

嫌な感じ。丸で逃げられたみたい。
こんな日は決まってロクな事がナイ…。

と、その時彼女は誰かに見られた気がして慌てて後ろを振り向いた。

―エッ…!?

気持ち悪い。
時間に換算すると…0.5秒程度だろうか?
一瞬にしてそんな感覚に支配されて、背中に鳥肌が立つ。
同じ顔の少女が恨めしそうにこちらをみている。

―なんで!?

と、想ったその時、そっくりな少女の正体に気付いた。
―なぁんだ…鏡じゃない。
もう一人の自分はゴミ箱の上に設置された鏡だった。
体を縛っていた緊張があっと言う間にくにゃりとほどける。
いつも見慣れている筈の鏡にこんなに驚くなんて、馬鹿みたい。
彼女は大きな溜息をついて、またホームを歩き出した。

その時、鏡が光を反射して
あらぬ方向にピカリと光った。

学校は駅から歩いて5分。そんなに遠い距離ではない。
彼女と同じ制服の生徒が数人、前後を歩いている。
ダルイな…。足が重い。
体と足をブラブラと揺らし、彼女は足元だけを見ながら歩いていく。
石畳が冷たい風を更に冷たくしている気がして、彼女は顔を上げた。
学校が目の前に見えた。
歩みを進めて行くと、どんどん学校が大きくなってくる。
巨人の様なその姿が目に入ると彼女の気持ちは
まるでその巨人にのしかかられる様に益々重くなっていく。

行きたくないよー…。面倒くさいよー…。

その時、始業20分前を知らせるチャイムが鳴り響いた。

リーンゴーン…リーンゴーン…

「始業20分前です!門を閉めまァす!!」
当番なのだろう。生徒会の役員の少女が門の所で大声を張り上げる。
それと同時に体育会系の名前も知らない先生が叫んだ。
「早くしないと遅刻だぞ、お前達!!!」
皆、後一歩って所で流石に遅刻はイヤなのだろう。
ゆりの前後の生徒達が、そろって一斉に駆け出した。
彼女も駆け出そうかと想ったが、どうも気力が沸いてこない。
大きい溜息をヒトツついて、ソレを合図に仕方ナシナシ駆け出した。
門が閉まる寸前で彼女もなんとか通り抜ける事が出来た。
どうせ後で開けっ放しになるのにな、この門。生徒脅かして馬鹿みたい。
彼女は肩をすくめてその場を立ち去ろうとした。と、その時だ。
「待ちなさい!そこの…あー…2年生か?」
回りには既にゆりしかいなかった。
―うわぁ…私かよッ…!
彼女はいやいや振り向いた。
「名前は?」
―私はあんたの名前も知らないっつぅの…。
そぅ喉元まででかかったが、グッと堪えて、無表情のまま
ハイと気の抜けた返事だけした。
「少し来るの遅すぎるぞ!もっと余裕をもって早く家を出なきゃダメだ。」
教師の脂ぎった顔を見るのがイヤで、彼女は目を違う方向へ向けながら
ハイ、と適当な相槌を打つと、彼女はくるりと身を翻し、玄関へ向かって
早歩きし始めた。教師は「オイ!ちゃんと守れよ!!」と又声を張り上げる。
彼女は振り向かなかった。最近は教育委員会が
生徒を守るという名目で色々とうるさい為か、
教師も生徒に余りしつこく注意しない事が多い。
叱るべき所もやさしくたしなめるだけだったりする。
どこかで生徒のご機嫌取りをしているカンジが
どうしても好きになれなかった。


―学校、イヤ…。


またチャイムが鳴り響いた。
今度はホームルームの始まりを知らせるチャイムだ。
が、相変わらずノロノロとした足取りで、
その音に反応しないまま教室へ向かう。彼女の教室は四階だ。
階段が妙に急な気がする。全部気のせいなのに。
踊り場の所で、肩を落してまた溜息だ。
と、その時、彼女の背後で急に誰かがボソリと呟いた。

「いい気なもんだ…。」

若い男の声だった。
一瞬ビクッと身を震わせた彼女は、すぐに想った。
彼女が玄関に入る頃には、既に周囲には誰もいなかった。
学校には教師に若い人はイナイ。と、すれば、講師の誰かだろう。
解った…現国の井村だ…。アイツもウザイんだよね。
若いからってモテてると想いこんじゃってサ。
アンタに惚れてるコなんて誰もいないっての。
彼女は長い髪を翻して、さっきの進み方からは考えられない程の
身のこなしで後ろを振り向いた。

嘘…

誰もいな…

彼女は又、ゾッとした。
そこにいるのは自分と寸分たがわない…いや、左右の違う自分…

それは、階段の踊り場に設置された大鏡だった。
どこの学校にも、ヒトツやフタツはある。
むしろ、彼女自身毎日見慣れているシロモノなのに。

―やだ…今日アタシどうしたんだろう…

鏡に驚くのは今日でもう二回目だ。
なんだか気味が悪くなった彼女は、
鏡の自分から目を離さない様にしながら慌ててその場を立ち去った。

教室に入ると、担任がまだ来ていなかった。
―なぁんだ…慌てて損しちゃった…
彼女は教室の騒がしさに少しホッとしてドアを開けて中へ入った。
が、そこでまた気分が悪くなる。
寒さを防ぐため、締め切った教室は、なんだか奇妙なニオイがする。
ムッとした熱気みたいなモノのお陰で彼女の気分は又ドッと重くなった。

「お、川田ちゃ〜ん」
「おはよっす」
クラスの男子が声を掛けてくる。
「ああ、オハヨ…」
わずらわしいけど、ココで返事をしておかないと、
からかわれたりかまわれたりと後々、益々面倒な事になる。
「あ、ゆり〜」
「オハヨ〜!今日は一段と遅かったじゃ〜ん!!」
クラスの中では割りと仲が良くて、行動も一緒にしている葵とマキが
陽気に声をかけてきた。返事を返すのがどんどん億劫に成ってくる。
―参ったなぁ…
彼女はうなだれて、自分の席にカバンを置くと、そのままくるりと反転し
元来た道を戻り始めた。
ソレをみて驚いたのは葵とマキだ。
「オイオイオイオイ!ゆり!どうしたのよ!チョッ…マジアリエナイから!」
マキが座っていた机から身を乗り出して手招きをしつつ叫んだ。
葵も椅子から立ち上がると、ゆりに駆け寄り言った。
「や…どしたの?ゆり?どこ行くの?」
―もぅ…どこだってイイじゃん…
ゆりは答えるのが面倒で左右にユックリ少しだけ体を揺らした。
「ぁに?もしかして具合でも悪いん?」
マキが怪訝そうな顔で問う。
―それだ…
ゆりは無言で頷いた。
「うっそ!マージーでー!じゃあ保健室行くん?」
もう一度頷く。
「付き合おうか?」
葵が心配そうにゆりの顔を覗きこんだ。
その時、反射的にゆりは葵を避ける様に体を前に進めながら言った。
「イイ…自分で行けるから…」
「じゃあ、浅井にゆっとくよ〜!」
浅井は担任の苗字だ。マキの言葉にまた無言で頷く。
ドアを開けると、冷たいけれど教室よりは少し澄んだ空気が
彼女の体を包み込んだ。ブルッと身震いする。と、
「ナニナニ、川田ちゃん、どしたん?」
「なんか具合悪いんだってぇ…保健室行ったよ〜」
閉めたドアの向こうに目をやると
男子生徒とマキが話している声が響いてきた。
心配してると言うよりは、なんだかネタにされてるだけみたいだ。

妙に腹立たしさを覚えながら彼女はその場を後にした。

―クラスの奴もイヤ…

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