◆石の上◆ ―囀り石奇談―

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  「7」 −あの世とこの世を繋ぐ者達−  

その様子を見届けて、狼鬼がオォン、と遠吠え高々と飛び上がり、くるりと一回転すると
あっと言う間に山高氏のステッキへとその身を変じた。
ステッキはそのまま山高氏の手の中へ音も立てずに落下した。
彼は煙草の煙をふうッと吐いて、例の石の上で姿勢を正し、口を開いた。
「フイシモンは…良しにつけ惡しにつけ相手への想いが強ければ強い程
強力なモノになっちまう…か…ヤレヤレ…。サテそれはそうと
一之助…あたしゃぁ、ヒトツお前に尋ねなきゃぁならん事がある。」
「はい」私と山高氏は改めてシッカリと向かい合った。
「実はお英の体からお悦を追い出した時、狼鬼の手が捕えていた
お悦の魂魄はぼんやり人の形を辛うじて保っているだけの厭らしい
赤い色をした靄としかあたしの目に映らなんだ。恐らく狼鬼にもそう見えてただろう。
それは先刻も言った通り、私達闇の住人の大半は波長の合わぬモノの姿が見え難い。
でも、オマエの眼には、お悦が人の形を保っている様に見えていた。…そうだね?」
私は黙って頷いた。
「一之助…イイかい。心して良ぉくお聴き。これから大切な事を言うからね。
まず一つ。九條は二度とお前達の目の前に姿を現すまい。奴はエラク自尊心が高いし、
一度失敗した対象には二度と目を向けない習性がある…。そこは安心していいだろう。」
私とお英は少しホッとして、顔を見合わせた。
「そして二つ目。一之助…お前は、他の人間の目には見えない“闇の世界の住人”と
これから先、嫌でも出くわす事になるだろうよ…。何故ならお前は、今回の一件で
もうヒトツの世界を視ると言う特異の力が目醒めてしまったのだよ。
この力は太古よりずっと人間の中に備わっているモノだ。
が、時と共に人はその力を衰えさせ…躰の奥深くに封印してしまった。
しかし、あるきっかけからその封印が解けて急にその世界を認知する事がある。
一之助や、お前は“視える目”…それもうんと強力な目を手に入れてしまった…。」
私はその言葉を聴いて呆然となった。山高氏は続けた。
「…今日お前自身がその目で観てきたあのこの世の者でナイ数々の光景…
それが日常、お前の目にあたりきに映ると言う事実だ。」
私はまさかの気持ちで、山高氏から本の少し目をそらし、周囲の暗闇に視線を漂わせた。

暗闇に本の少しだけ景色が浮かぶ。

―いる
―いる
―いる

闇の中に見た事のナイ様な色彩を放ちながら、
流れていく幾つもの光周りの黒に溶け込む半透明の暗い顔の男
道のない場所から笑いながら駆けて来て、
壁に吸い込まれた顔が見えない少女

たくさん みえる たくさん 

私は山高氏に視線を戻した。
知らないウチに私の息は荒くなっていた。
「いうなれば…“あたしは比較的あの世に近いあの世とこの世を繋ぐ者”とすれば、
一之助、“あんたは比較的この世に近いあの世とこの世を繋ぐ者”と言う事になるかねぇ。」
山高氏の表情は静かだった。彼は更に言葉を続けた。
「ただ安心しなさい。一之助。お前が知らんぷりを決め込んでいれば、
奴らも必要以上に傍に寄っては来るまいよ。
お前が必要なければ、“いらぬ、いらぬ”と強く拒否をすらば、
彼等の大半は逃げていくだろう。それにこの力があるのはそう悪い事ばかりでもない。
ある意味、これから我が身に降りかかる災難や危険を、事前に察知するのも可能にもなる。
闇の者達は、哀しみ、怒り、痛み…多くの負の感情に誰よりも何よりも敏感だ。
彼らは或る時は囁き、或る時は嘆き…幻の光や影を見せ、音を立て、お前達の身に
これから起こる事を知らせようとするだろう。その“兆し”を決して見逃すでないぞ。」
お英がハァッと強く息を吐いた。緊張していたのだろう。
私の着物を強く握っていた手の力が少し緩んだ。
「そして最後。三つ目だが…先の二つよりもココからが大切なんだ。
いいかい、これが私の一番危惧している事でもあるから心して良ぉくお聴き。
一之助、私が心配しているのはね…この力は“遺伝”すると言う事なのだ。
…オマエの代で止まればいいのだが…恐らくそうはいくまいよ。」
山高氏は瞳を悲しそうに伏せた。その時ふいに、嗚咽が聞こえて私はその方向へ
慌てて顔を向けた。お英であった。今まで必死に堪えていたのだろう…。
私はお英を抱きしめると、もう一度山高氏を振り返り、尋ねた。
「どうしたら食い止められましょう?」
「それは私にも解らない。多少の予見…何が起こるかを予知・予測するのは
確かに私にも可能だ。けれど、一体どの代の誰にこの力が備わってしまうのか…
覚醒するのかは、流石に解らんよ。お前が此度の一件でこの力を得てしまった様に、
お前の子々孫々にも、その危険性は幾多数多、
そこいら中に散らばっていると言う事なのだからね。」

私は山高氏から目を逸らさなかった。彼も又私から目を逸らす事をしなかった。
沈黙が暫く続き…山高氏の短くなった煙草から、その元の長さを示す量の灰が
ごそり、と落ちた時に彼はまた口を開いた。
「ではヒトツ約束しよう。あたしは嘘をつかない。あたしで出来る限りの事をしてあげる。
…この先あんたの子孫の手に負えない様な事件が起きた時もしも運が良けりゃぁ、
手を貸すと約束しようじゃないの。むしろ、今回だってそうだったんだけどね。
あたしがあんた達を助けたのァ、あたしの仇敵である九條のジジイが
あんた達に目をつけたのをあたしの傍でやろうとしてたってぇのが原因だったのだし…。
たまたま運が良かったんだよう。
…ま、今度の一件の駄賃は煙草を貰ったワケだから帳消しだけどね。
あぁ…それと…一之助…あんたはあたしに」
そこで山高氏が嬉しそうに笑った。
「面白い名をつけてくれたしねぇ。あたし、アレ。気に入っちまったんだよ。
だから…この名は、先の約束の証文として貰っていくよ。いいね?」
そこにはあの観音像の様なやさしい笑顔があった。
「はい!」私は力強く答えた。「有難う御座いました…山高さん…。」
山高氏は笑顔のまま頷くと、
「サァ…それじゃ、今宵の悪夢はもう終わりだ。」と言って
天空を見上げ、右の手を高々と上に掲げた。
その指先の指し示した辺りから、深かった闇が物凄い速度で丸で風に流される雲の様に
満天の星空が姿を現した。
私もお英もその吸い込まれそうな美しさに、一瞬呆然となったが、ハッと我に返って
山高氏の方へ視線を戻した。

が、そこにはもう誰もいなかった。

お英も同じように驚いた様で、私達は慌てて先刻まで
山高氏が立っていた石の傍へと駆け寄った。
「…本当に夢だったのだろうか…」
私がポツリと呟くと、お英は答えた。もう涙は乾いて、安堵した面持ちであった。
「いいえ、夢ではございますまい。」
彼女は私より少し前に出ると、地面から何かを拾い上げた。
それは、短くなった煙草の吸殻であった。
「丸で煙草の煙の様に消えてしまわれましたね…音輪丸様…いえ、山高さん…。」
お英はその吸殻を私にそっとさしだした。私はそれを受け取ると空を見上げた。
ただ瞬く秋の星座が瞬いた。その時、私の横を素早く通り抜ける、
一陣の冷たい秋の風が小さく囁いた気がした。
「また、あおう」と。
気のせいか?私は風の走って行った方向に目をやった。
そこには、季節はずれの大水青が、ふわりと飛んで、やがて…小さくなっていった。
「行ってしまわれましたね。」同じものをみたのか、お英は言った。
「うむ。」
「最後にちゃんとお礼も言えず終いでしたわ…でも、でも…わたくし…
何故でしょう、きっとまた会える…そんな気が致しますの。」
お英は微笑んでいた。私も微笑んで頷いた。
そうして私とお英は寄り添いながら、もう一度、その方向へ向かって頭を下げた。
彼は偶然とは言ったが、私達を危機から救ってくれた。
私と妻が健在であれば、お店も潰れる事はナイ。それは、路頭に迷う奉公人を
出さなくて済んだと言う事に繋がる。それだけではない。
結果、お悦とみつの哀れな親子の魂までも救済した。
これだけの数の人間を救うのは決して、悪意や邪心のある者が為せる業ではない。
「煙草とあだな」を「お礼と約束」と洒落て、嬉しそうに持って消えていった
貴方を私達は決して忘れないだろう。
一度だって石の上から降りないで、この奇妙で悪夢の様な事件を解決してくれた
素晴らしい貴方を。

大水青の消えた空の彼方には、大きな満月が彼の瞳の色の様に輝いていた。
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